お盆の翌週、瀬戸内の町に帰省。弟も一足先に戻っているので、一人暮らしとなった母は少し嬉しそうである。庭や畑の除草、物干し竿の紐取り替え、家中のタンスの防虫剤交換・水取ぞうさん設置、アリ等の退治、盆提灯を出したりしまったりとやることはいろいろある。金融機関の相談や田畑や山の登記修正、社会福祉協議会への寄付等も今回でだいたい目処がたった。幸い裏山の工事後も安定し、新しく除草や剪定をお願いした植木屋さんもとてもよい仕事をしてくれており、いろいろなことがようやく落ち着いてきたようである。
交代で母と料理をしたり、外で気をつけながら食事をしたりして、暑い夏の日を過ごした。父が亡くなって気弱になりいろいろ衰えが目立つ母が気になるが、せめて共に穏やかに過ごす時間をなるべく持ちたいと思う。
母のいつも料理がうまい / 坊ちゃんかぼちゃ(近所の方にいただいた)
時々行く寿司屋さんの握り寿司(ちょっと奮発)/ スーパーで桃を買って食べる
お土産はいつものかんべの栗まん・石城山&もなか/ と、定番の鶏卵せんべい
金曜日、再度家中を点検してから、帰路に着いた。無人駅のホームで電車を待ちながら包括支援センターのケアマネジャーに状況を連絡して、引き続きのサポートを依頼。コロナ拡大中であるが、幸い電車、空港、機内等相応距離が保てる程度の混み具合。それでも可能な限り注意して行動する。
夕方のフライトではなるべく左側の窓側を予約するのだが、今日は太平洋沖を飛ぶルートで富士がよく見えて夕景がきれいであった。
瀬戸大橋あたりまでは雲が多かった / 天竜川河口あたり?富士山が見え始める
御前崎を越えて右偏して太平洋上へ / 南アは雲下だが富士は雲上
機上で半藤一利氏の本を一冊読み終える。この時期のいつもの読書。小豆島の上も飛んだので先週のNHKの「二十四の瞳」新作を思い出す。土村芳の大石先生もとてもよかった。瀬戸内エリアも戦争の記憶は濃い。母も時々光海軍工廠空爆で空が赤々としていたことを思い出しては話す。
羽田からも順調に移動して帰宅。自宅に入る前に、再度抗原検査キットで陽性でないことを確認してすぐシャワーを浴びる。まあ気休めかもしれないが。その一方で妻の父のいる施設からは再度所内感染発生でしばらく面会不可とのこと。もはや制御不能になっている気がする。