今年は「クリーンクライミング」誕生から50年目とパタゴニアのメール配信で書かれていた(20年前にヨセミテに憧れてサンフランシスコ郊外に留学していたときに登録したものが今も届いている)。パタゴニアの前身(というかクライミング用品製造販売なので今のブラックダイアモンド、改名前ショイナード社の前身か)のグレートパシフィックアイアンワークス社の創設者のイボン・ショイナードは、1972年に同社の売上げトップだったハーケン(自分もアルパインでは同社の超硬質クロモリハーケンを数本持っていた。鉄ハーケンの数倍高かったと記憶)が岩を痛めるとして、チョックス(ナッツやヘキセントリックという六角形の金属)への転換を打ち出したとのだそう。その流れが日本に来るのは80年代であるが、確かにその頃にロイヤルロビンス他倫理観の高いクライマーの思想がどんどん入って来ていた。その後可動式のカムナッツ(フレンズやキャメロット等)も出て来たがとても高く、また使い方も難しかった(チョックスは特に抜けやすく怖かったし、ギアの重量がとてつもなく重くて、ザイルトップは辛かった。
ギア箱の角にまだ取ってあった(左がクロモリの) / フレンズ、キャメロットにチョックス。古いロゴのラック
上記記事でショイナードは結果として”クリーンクライミングは失敗した”としているのが興味深い。クリーンクライミングの考えは、あわせてフリークライミングの考え(ギアは落下時のプロテクションとしてのみ用いるべきで登る際は人の力のみとする、ギアを掴んだりあぶみを掛けたりして登る人工登攀は劣後する、と)も同時に大発展させ、クライミングテクニックが飛躍的に向上することとなった。しかしさらに高グレードの追求は、フェース、ハング等にルートを求めることとなり、クラック専用のチョックス類は使用できないのでプレセットの埋め込み式ボルトが許容される流れとなった(激論があったが)。さらにこの流れはコンペ等純粋なスポーツとしての発展へと進み、現在のクライミングジムでのボルダリング(もはやプロテクションは使わず純粋にムーブのみを追求するということ)大興隆になってきている。
ショイナードは、クリーンクライミングと埋込ボルトは相容れないものと捉えているし、ジムでのインドアクライミングにはアドベンチャーの要素はないと思っているであろう。しかし、パタゴニアも当初は山の機能的ウェアで、実際雪山でそのよく考えられた性能には他社製品以上の価値を自分は認めていたのだが、今は街中いたるところでその高価な製品を見かける。街着としてデザインされたものの方がもう大多数なのであろう。これもまたビジネスの発展の姿と思うが。高性能な製品は必然的に石油由来の化繊で作られることとなる(今更綿のヤッケやウールのニッカボッカーで雪山に行く気はしないが、まああまり環境にはよくないことではある)。
今は息子が来ている街用パタゴニア。
プルタブが壊れたのでチョックスっぽいのを着けてある/ ヘキセントリックをオマージュした(?)街用ベルトもある
東京五輪でのスポーツクライミングの採用は、かつて五輪競技に存在したという登攀競技のリバイバルでもあるが、やはりまったく別のものと言えるのだろう。果たして次回冬期五輪で採用されるという山スキー(Ski-Mo, Ski Mountaineering)も純度を高めるとどうなっていくのかと思ったりする。
とはいえボルダリングは確かに登ることを純粋に楽しめるものでもあるが、山の岩場の登攀や岩稜歩きの能力を高めてくれるのも間違いなく、自分は大変これに助けられている。
50年前の1972年は沖縄の日本返還の年でもある。もうそんなになるのかとちょっとクラクラする思い。