湘南寺田屋

個人の記録用。元々は山スキーやクライミングの記録用だったが今は料理やらオルガンやら日々の雑多な記録多し。2016−21間はシドニー滞在していた時の記録。23.7月から山の記事はサブブログに移管。以前の記録もサブブログでアーカイブ。

ダーウィンへ

帰国が近くなり、これまでいけずにいたノーザンテリトリー(北部準区)のダーウィン(Darwin)へ。ちょうど全国で戦没者を悼むANZACデーの週末。

 

24日(土)早朝便に乗る。国内線空港の駐車場P3は驚くほど混んでいて8階まで上がることに。コロナ前でもこんなことはなかったのに驚きである。大陸を西に半分ほど行きさらに北に上がるので、4時間半の結構なフライト時間である(時差も30分ある)。

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出発の朝                      /  自宅そば。黄葉が深まったてきた

青い海から大きなダーウィン湾を見ながら着陸。今もトーチカ等がある小さな空港に降り立つ。入境審査はきびしく、事前申請書の登録ができていることを確認したうえでひとりずつブースでチェックを受けてから入境OKとなる。なぜか自分のブースの係員は以前ご近所のチャッツウッドにいたそう。

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美しい海であるが              /   空港はトーチカ等あって軍民兼用

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ひとりひとりチェック           /   レンタカーに三菱車多し

レンタカーブースの前でトイレに行く際にカバンを置いておいたところ、出てきたところで警官から注意を受ける。このあたりは軍の施設が多いからか。幸いすぐ許しがでてレンタカー貸し出し手続きをする。車は三菱エクリプス。後ほど博物館では三菱ゼロファイターと散々表示があったが、今は三菱車もたくさん走っているようである。

 

走り出すと真っ青な空と緑、街路樹の白い花が咲きほこり、トロピカルな雰囲気に満ちている。赤道に近くもうパプアニューギニア等アジアがすぐ近くであるので当然ではある。

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まずはEast Pointという半島にあるダーウィン軍事博物館(Darwin Military Musium)に行く。シンガポール陥落直後1942年2月19日に日本海軍によるダーウィンの最初の爆撃が行われたことは日本ではあまり知られていないが、オーストラリアでは海外からの唯一の攻撃(白人入植は除く)であり、日本軍の展示はとても多い。赤城、飛龍ほか大型空母4隻から180機もの攻撃機が飛来し、この日だけで251人が死亡したとのことである。真珠湾攻撃の際の2.5倍の量の爆弾が使われたとの説明もあった。その後ダーウィンだけでも約60回の攻撃を受けている(ほかにもQLD州ほか多数)。

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展示はまさに博物館で実際の軍の機材等が多く、屋外に大型のものも多くある。実際にこの場所にあった建物や砲台などが残っている。展示には日本軍のものも多く、きちんと整備されており、中庭には小さな鳥居などもある。ノーザンテリトリーは現在の日本との良好な関係を大事にしているとされ、シドニーでも今週準州政府と総領事館共催のイベントも予定されている。ふと見るとエアコン室外機が2つあり、ダイキン富士通ゼネラルであった。

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                       日本による攻撃を一覧にしてある

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日本のエアコン2社             終戦時の新聞

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一部に日本語併記の解説          /  市内の被害箇所マップ

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博物館を出てイーストポイント歩いてみる。対岸に山火事の煙が上がっているが、それ以外は青く海と砂浜で家族が遊んでいる静かで穏やかな風景。

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車で市内に入り、湾に面した公園にある戦争慰霊碑(War Memorial)に行く。Anzacデーの慰霊行事は明日であるが、ちょうど100回目となるとのことで楽隊の演奏など準備中を進めていた。小さな町だが会場にはたくさんの椅子並べられ、交通制限も行われていた。今日も特別行事があるようで人が集まってきていたので、そっと慰霊碑に手を合わせてから公園を後にする。

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まだ日も高いので、日本の潜水艦「伊124」の慰霊碑に向かう。ダーウィン攻撃の前に海上封鎖作戦を行ったものの逆に攻撃を受けて沈没したもので、今も乗組員80人とともの海底に沈んでいる。地元オージーによる研究等もあったが引き揚げは行われず今も海底にある。2017年に沈没地点を望む高台(Dipstone Cliff)の公園に慰霊碑が作られ、安倍総理ダーウィン訪問の際にも献花がされたそう。紀谷総領事(NT準州担当)も。ここはなかなか情報がなく、Dripstone 公園に行き、園内を探してみる。約1時間ほどうろうろしてようやく海を望む遊歩道沿いにダーウィン初のレーダー施設跡(42年3月)を見つける。その次のモニュメントはマナティ母子像。もう一つ先にようやく慰霊碑を見つけ、手をあわせる。真っ青な海。

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夕方になったので、一旦宿のモーテルにチェックインしたあと、Mildi beachで夕日を見る。少しずつ集まってきた人たちと静かにとろりとした日の入りを眺める。

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ダーウィンは人口の3割がアボリジニとのことであり、実際に街中でもそんな感じである。ア残念ながら中心部(CBD)の繁華街で座り込んでいる泥酔者も多く、アボリジニ系の人がほとんどであった。スーパーCOLESのあるショッピングセンターの和食店「おいしいや」で握り寿司とする。大変美味しくワカメやカニ等地元の食材もネタになっているがこれも本来の寿司なのかもしれない。

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アジアの熱帯の雰囲気           /  日本のガス開発INPEXの看板もあった

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 25日(日)

早朝、部屋のテレビ(AKAI製)で明け方の式典(Dawn Ceremony)をみる。その後、戦時中に豪軍の保養の場所だったというBerry Spring公園へ。途中大きな猛禽がいたり、変な形の送電鉄塔があったり。

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公園は熱帯雨林の中にある。川を堰き止めてつくった名物のプールは営業中止中であり、人影もまばらである。鳥がたくさんいるのだがなかなか姿をみることができなく残念。熱帯雨林観察の遊歩道を一周するが、ワニが怖い。車内でこの日の名物アンザッククッキーを食べながら市内に帰還。

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ついで、ノーザンテリトリー博物館・美術館(Musium and Art Gallery)へ。ここは元は開拓の頃に数少ない産業であった食肉加工場のエリアとのこと。入植の歴史や独特の植生や動物性、およびアボリジナルアートの展示。ボート等に攻撃をしかけた有名なスイートハートという名のワニが捕獲された際の逸話等もあり、剥製が展示されていたが、たしかに巨大な生き物である。

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最後に、空港の近くにある航空博物館(Aviation Musium)を訪問。ここに、ダーウィン爆撃の際に不時着した零戦の残骸実物があると聞いたためぜひ訪問したかったところ。この機の搭乗員がのちにカウラ(Cowra)の捕虜収容所の集団脱走事件でラッパを吹くこととなる豊島飛行兵(南忠男と名乗っていた)であり、「カウラの突撃ラッパ」で詳しく触れられているもの。巨大なB52の実物展示等がある格納庫の隅にそっと展示されていた。

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空港に戻り、16時半のフライトに乗り、再び4時間半の旅でシドニー帰着。帰路はJet Star便で、昨年3月にコロナでキャンセルとなったフライトの代替クーポンをようやく消費することができた。

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シドニー空港 名車910ブルーバード発見