湘南寺田屋

個人の記録用。元々は山スキーやクライミングの記録用だったが今は料理やらオルガンやら日々の雑多な記録多し。2016−21間はシドニー滞在していた時の記録。23.7月から山の記事はサブブログに移管。以前の記録もサブブログでアーカイブ。

久々のシドニー湾の旅

久々に、Mark&Aさんご夫妻から、シドニー湾に船を出すとのお誘い。しばらくブッシュファイアー(山火事)とCovid-19の影響があったそうだが、ようやく出港にこぎつけたとのこと。よろこんで参加することとし、同じアパートで1ヶ月ほど前に当地に来たばかりのMさんをお連れすることにした。いつものとおりクレモネポイント(Cremorne Point)の船着場にて待ち合わせ。ここは本当に気持ちの良い場所。

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いつものSydney Amature Yacht Clubより出港

 

船は船齢40年なのだそうだが、木製の手すり等も丁寧に磨かられてクラシックな趣。大事にされているのであろう。もうひとりの乗客Tさんとともに乗せていただく。11時過ぎにシドニー湾の出口に向けて出港。シティとハーバーブリッジを眺めつつ、ローズベイ、ダブルベイ等右岸側近くを通っていく。遊覧の水上飛行機が離発着したり、ヨットやフェリーと接近したり。真っ青な空だが、振り返ると西側郊外にブッシュファイアのものと思しき黒い煙が上がっている。コロナですっかり忘れがちだが、思えばあの災害からまだ一年も経っていないのだと思う。

久々にお会いしあた船長のMarkさんに、以前息子が乗せてもらってずいぶん喜んだことを思い出し、あらためてお礼をお伝えする。コロナ影響で留学生関連の仕事もずいぶん影響を受けたそうである。

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船長のMarkさんと            /  ブリッジを背にサウスヘッド方面へ

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ビーチには結構人出がある         /    振り返ると西郊外に山火事の煙が

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船長ご夫妻                /   クラシックな良い船。船齢40年とのこと

 

湾の出口のサウスヘッド近くまで行ってから横断してノースヘッド側へ。マンリーのフェリーターミナルの近くに停泊し、ここで食事とする。Mさんは初の船にとても喜んでいたが、少し船酔いのようなので、ゆっくりと休んでもらう。サラダやTさんのお寿司等いただき、私も食後のデザートを提供(本日は、抹茶シフォンケーキ、フィナンシェ&フロランタン)。日差しが強いが、うねりもなく静かな海。船長のMarkさんが、天気が崩れるので早めに出港と言っていたが、実際急に雲が出てきて風も吹いてきた。イルカとすれ違ったりしながら、15時半に陸に戻った。

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マンリーのフェリーターミナルの近くで投錨

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船上で一服                 /   帰路は結構雲が出てきて風も吹いてきた

 

一旦帰宅後、Crows Nestの鹿児島和牛の焼肉屋にて、陸上活動組と合流。Mさんをご紹介。同世代のご友人が増えるように(ほとんど子供を見守る親の気分である)。船上にいるだけで結構くたびれたようで、早めに帰宅。

日本からの郵便が届き、Rock & Snowの春号(20年3月号)で名クライマー杉野保氏追悼特集を読む。ほぼ同世代であり、日本のフリークライミング黎明期から黄金期をつないだ名手。開拓、コンペ、そしてクラシックなクラックまで真のオールラウンダーであり、また文章も上手であった。追悼に名を連ねている人たちももう現役を退いているが、自分には黎明期時代の匂いが蘇る気がする。ソロクライミング中ではなく、偵察行動の際の不慮の事故だったことが詳述されていたが、クライマーとしてはよく理解できることだ。合掌。

同じ号には黒いページが多く、穂高や谷川で活躍された古川純一氏やクライマーであり山の思想家であった遠藤甲太氏の追悼記事も。また、英アルピニストのジョーブラウン氏も(カリマー社の同氏の名のついたザックは名作で高校時代に欲しかった事を思い出す)。書籍や記事で影響を受けた名人たちの名前を久々に耳にするのは、天寿を全うされる時。