湘南寺田屋

個人の記録用。元々は山スキーやクライミングの記録用だったが今は料理やらオルガンやら日々の雑多な記録多し。2016−21間はシドニー滞在していた時の記録。23.7月から山の記事はサブブログに移管。以前の記録もサブブログでアーカイブ。

富士山滑降 北西斜面

日時:2003年5月9日(土)夜行、10日(日)

記録:

5月9日(土)

いつもの八王子南口集合であるが私が10分遅刻。その間、隣に駐車していた山スキーヤーから林さんが情報収集し、吉田大沢は落石多く状態が悪くむしろ北西斜面が山頂まで雪がつながっておりよいとの話を入手。登り口(御庭)を確認し、出発。

河口湖インターは近く、1時間半ほどで到着。Hさんが昨年に泊まった湖畔の駐車場で仮眠。あずま屋というか屋根のついたステージの上にエスパースを張る。「今は静かだけで朝は釣り人でたたき起こされるよ」とHさん。寝袋を忘れてきたので、毛布を借りて寝る。

5月10日(日)

5:30起床。スバルラインを登り6:30過ぎ、御庭のスノーシェド手前の駐車スペースでSさんと合流。

 御庭を7:00出発。ハイキング道をしばし登り雪渓末端にでたところで、私以外の3人はシール登行で、自分は雪渓沿いの夏路(最初雪渓左、すぐに右側)を登る。雪は堅く締まり、途中からは表面が薄く氷状となる。天気は快晴、暑いくらいである。ひたすら登りつづけるのは富士山の常である。

12:30寺田山頂着。10分ほど遅れてフランスパワーでJ着。さらにしばらくして、女性1名を含むチェコパーティが登ってきたが、そのまま剣が峰に向けて時計回りにお鉢回りをしていった(新聞報道によると、この女性はこのすぐあとに転倒・骨折し、救助隊に救助されたそうである。)。

火口を挟んで向かい側の剣が峰あたりに数名の登山者が見える。またそちら側(南側)火口内の斜面がつながっており、シュプールがたくさん入っていた(こちら側はガレ場なので滑降は不可)。

Hさんは9合目でどうやら大休止。Sさんはその後ろなので、13:30、滑降を開始することにする。

9合目でHさんとちょうど登ってきたSさんに合流。ビールを飲んで全員で大滑降で御庭にもどった(15:30頃)。

(ご報告)

今次山行の最中、山頂以降、自分は一次的なトラブル状態にあった模様で、下山後数日を病院ですごすことになりました。

 症状は記憶障害で、山頂で靴のバックルを締めたところから以降の記憶が真っ白に消えています。板をはいたり、滑ったりした記憶が全くなく、下山後も車に乗っていたこと等を部分的に覚えているものの、21:00ころまでほぼすべての記憶がなくなってしまい、自宅に帰着後5日ほど入院することとなりました(駅に迎えに来た家人によると、駅到着時には富士山に行ったことや誰と行ったかもあやふやな受け答えをし、何度も同じ質問を繰り返していたとのことで即病院に連れて行ったとのこと)。

 同行メンバーの方々によると、滑降や歩行を含め普通に行動していたとのことであり(普段よりよい滑りであったとの証言もある)、非常に不思議ですが、その後も結局記憶は戻らずじまいです(もっとも、下山時に同じ質問を何度もしたりと、変な感じはしたそうですが。お金の精算等はちゃんとやっていたらしいのがなおさら不気味です)。

診断の結果「一過性全健忘症」とのこと。特別のきっかけはなくして記憶の中断がおこるものとのことで、その医院でも年に数例あるそうです。私の場合も特に原因は特定できませんでした(高度の影響ともいいきれないとのこと)。幸い、再発はほとんどないとのこと。

思えば、寝袋忘れから始まり、日焼け止めを全くぬらずサングラスも頭にのせたままでひどい日焼けと雪目になったこと等、どうも前後の行動も少しおかしかったようでしたが。

いずれにしろ、同行の皆様にはご迷惑をおかけしました。大事にいたらなくてほっとしています。

(行動記録)御庭0700-山頂1230/1300-9合目1315/1330-御庭1530

(登行高度)1500m (滑降高度)1500m

(メンバー)H(L)、J、S、T(記録)

(地図)1/2.5万 富士山